心理学年報31号 page 41/54

心理学年報31号

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境:知覚心理学の対象と方法論を再検討する37ような観察事態において,実験に慣れていない観察者に「どのように見えるか」を問うと,しばしば得られるのは,次のような記述である。左から移動してきた四角が,画面のほぼ中央で静止していた別の四角に接触して静止した。次に,それまで静止していた四角が少し移動して,静止した。統計学者ならば,40人の観察者のうち,30人が,ある現象が「見えない」と言ったら,「そんな現象は存在しない」と結論付ける。「75%の観察者には,見えない」のだから。しかし,我々のやり方は違う。まず観察者に,何も言わずに実物を見せ,その中で,自発的にその見え方について言及した観察者だけを対象にするのだ(2010年12月11日,ウディネ大学の研究室にて)。この種の記述は,記述であることは確かであるが,「どのような事柄が見えたか」を述べるのではなく,物理的な視点から捉えた変化を逐次的に述べただけであるから,「知覚に関する記述」ではない。一方ミショットは,「最初に動いた矩形がぶつかったことが原因で,静止していた矩形が突き飛ばされる結果となった」と知覚されることを指摘し,これを追突印象?launchingeffect?と命名した。このことから,「客観的かつ中立的であることを旨とした,主に物理学の知識に基づく逐次的な記述」は,Vicarioの言う“知覚の心理学”(Table 1)の手段である「知覚そのものについての記述」とは異なることが明らかである。また,記述のレベルという問題もある。黒い矩形と白い矩形がランダムに動き回る事態を観察して,ある初学の学生は,以下のようにその現象を記述した。黒い四角と白い四角がそれぞれゆれながら少しずつ近づいて重なったり,遠ざかったりしているように見えた。一方,同じ事象を観察して,ある知覚研究の専門家は,以下のように記述した。白が黒にいきなり詰め寄ってちょっかいを出す。何か文句を言って手を出すが,意外に黒が強く,距離を置いて両者口喧嘩している。やがてまた白がちょこちょこ手を出すが,黒に一発返されるとすぐにひるみ,離れて悪口を言う。初学者による記述は,確かに物理的特性にのみ着目しているわけではなく,動きの特徴を捉えようとしているが,専門家による記述ほどに動きの特徴を詳しく述べられていない。このように,知覚に関する記述を分析することが知覚研究において本質的に重要であるにもかかわらず,どのようにして知覚研究に資する現象記述を引き出すかについて,一定の標準的手法が存在するわけではない。このことについて,Vicario教授は,ある日,次のように語られた。統計学的に「正しい」研究の手順としては,多数の未経験の実験参加者に,ある見え方や感じ方が「何らかの基準を超えているか否か」のみを判断させるのが,実験参加者にとって容易に判断できる一般的な測定手法である。しかしながら,この手法では,測定している現象の諸相の分類には立ち入らない実験しかできない(即ち,そのような分類ができない人ばかりを集めている)。一方,観察者にその現象の分類ができるまで,実験者が観察者と関わりを持つことは,観察者に対する,ある種の説得であったり訓練となってしまう恐れがあり,「客観的科学」の手法としては望ましくないと批判され得る。この状況を打開するための方策としては,Vicario教授が提唱されている「知覚研究のプロトコル」(Table 2)が有効であろう。6.結語?知覚研究においては,「今ここで自分が知る事柄」全てを扱わねばならない(従って,「錯視だけ」を研究することなどない)のであり,探求の出発点は,「物理的世界と心理的世界のズレ」ではなく,「今ここで自分が知る事柄」全て,である。私たちは,「物理的世界を正確に認識できない」のではなく,「物理学的な記述では,知覚を的確に捉えることができない」のである。?実験現象学的な知覚研究では,「心的事実は生理的事実に還元できない」という認識論を採用している。従って,知覚の主体を脳に委ねたり,知覚を生理学の水準で説明しようとはしない。Table 2知覚研究のプロトコル(Vicario,2008)[1]現象を観察して綿密に記述する[2]現象を特定する変数を探索的に操作し観察する[3]熟練した観察者との議論から,操作すべき現象的変数を決定する[4]先入観のない観察者に典型例を示し,自由記述を求める[5]記述の分析から重要語・頻出語の選定し,観察者に与える課題を決定する[6]実験計画を策定し,実験を実施し,結果を統計的に分析する[7]実験後の観察者からの聴取により,実験者が気づかなかった現象特徴を理解する