ブックタイトル明星大学 心理学年報 第32号

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明星大学 心理学年報 第32号

福田・石井・黒岩・高塚:第7回明星大学心理学会シンポジウム51田野畑村の「いま,ここで」黒岩誠?1.?いま,ここで」生活感覚でトラウマを定義するならば,「寄る辺」を喪うこと。喪って初めて気がついた生きることへの取り返しのつかない実感。無理やり地獄の火に追いやられ,そこから再度現実世界に引きずり戻された経験。これらの経験が日常生活を破壊し続けることをPTSDと呼んでいる。2011年4月,東日本大震災から1ヶ月,岩手県田野畑村を訪ねたときの変にぎこちなく平静な人々の様子に,20年ほど前,沖縄でひめゆり部隊の老婦人たちが自分たちの経験を語る表情が重なった。半世紀以上経過してひめゆり部隊の女性たちはトラウマと自分の中でどう対峙しているのだろうか。2012年3月,再度,沖縄を訪ねた。老婦人は十年一日の変わらない表情で淡々と語り続けていた。2011年8月,田野畑を訪ねた私たちを一人の老婦人が訪ねてきた。70代のこの女性は率直に自分が今までのように人前に出ることがが余りに苦しいと訴えた。津波に追われ,自分より高齢の婦人の手を引き,山に逃れた。もう少しで難を逃れるところで津波に巻き込まれ,津波が引いて,気がつくと,流木の下敷きになり肋骨を折っていた。どうにか助けられた。女性は,自分が離しさえしなければ,手を引いた老婦人を助けられたはずだと考えた。津波が引くのがあと数分遅ければ,自分が生きていられなかったにもかかわらず。1ヶ月半,4ヶ月,45年,65年のそれぞれの歳月の中に,決してトラウマは消えてはいない。体験した人々の中でトラウマがどのように位置づけられねばならないのだろうか。私たちは専門家として対応する立場にあってどうすればいいのか。何をしてはいけないのか。チーム「バラ作戦」と名づけて始めた活動を私たちはどう展開すべきであろうか。分断された田野畑村のコミュニティーを再建する支援が可能であろうか。している。岩手県沿岸部は日本でも数少ないリアス式海岸が,美しく雄大な景観を誇る地域である。田野畑村も例にもれず,西部・中央部のなだらかな山々が作るのどかな風景から,太平洋へ近づくにつれて地形は大きく変化し,東西に延びる谷々が深く大地を刻んでいる。名勝北山崎や鵜の巣断崖は約200mの断崖絶壁で「海のアルプス」とも呼ばれる。この美しい浜と雄大な陸地が村民の生活を見守り,多くの村民がその自然の恩恵を受けながらこの地に生活を根ざしてきた。しかし2011年3月11日,その自然の強大すぎる力は24人の方の未来を奪った。浜を中心とした海抜の低い地域は壊滅し,村や地域は分断された。地形的な特徴によって,同じ地域のある地点より低い地域の住宅は跡形もなく流されている一方で,そのすぐ上の住宅は無傷で残っているような光景がそこかしこに見られた。(図1.参照)3.田野畑村の気質都市生活では自分の生活は自分で守ることを自立と考え,これに疑問を抱かない。すなわち権利と義務を行使して自分を守る。しかし,出自のコミュニティーにおいて生活するとき,権利と義務を強く主張することは困難となる。支援対象は長い歴史に裏付けられた2.田野畑村概観田村ほか(2012)は田野畑村の状況を次のように記述?チーム「バラ作戦」代表図1. 2011年4月の田野畑島越港柱だけ残る製氷工場右手の山の草木が潮で枯れている向うの松島にぶつかった30mの津波がおそった